激動の2020年終了

だれにとってもコロナ関連では激動、激変の2020年となりましたが、あと少しで終了です。

サラマンドフの会の支援している事業がコロナで活動休止に追い込まれてしまうのか、と当初は不安もありましたが、支援地域では感染の報告もなく、活動は何とか継続できていることは、今年の最も嬉しいことのひとつでした。

また支援してくださっている会員も激減するか、と思いきや、例年どおりの退会率で、NPO法人としてコロナ以前と変わることなく活動できたこともありがたいことでした。温かい応援を続けてくださっている皆様に心より感謝します。

そして、10年目が終了して、11年目に入りました。長いような短いような10年でした。一昔を経過して、小さな歴史を刻んだともいえます。

サラマンドフの会が何とか無事継続したのとは対照的に、プライベートには、コロナ騒動のおかげで、ケニヤからの国際線の停止のため、足止めとなり、親や身内が何かあっても日本に帰国できない状態が続きました。ようやく日本に帰国できたかと思いきや、まるでその帰国を待っていたかのように、親や身内への不幸が次から次へと続き、人生最大の不幸の年ともいえるような年でした。

身内に癌が2人も出て、コロナとともに癌を身近に感じた年でもありました。まるで癌の銃を持った人々に囲まれて逃げ場のないような状態かとも感じ、意を決して検査を受けたところ、まったく異常なしで、ほっと一安心。

不幸が続く一年の終止符としては大団円となりました。まさに、不幸の中にも幸ありでした。コロナは世界人口の100人に1人とかとなったようですが、癌も日本では2人に一人と言われるご時世で、どちらも正しく怖がって生きていくしかないのかと実感しました。

不幸の中にも幸あり、なのか、私の楽観的な性格が不幸の中でも幸を探そうとさせるのか、激動の年ではありながら、それなりに楽しさを探して生きていくことができています。

11月には母が永眠しました。顔を合わせれば喧嘩ばかりしていた母でしたし、口うるさい、とても元気な人でした。高齢とはいえ、まだまだ口達者に元気に生き続けて、小うるさいのが悩みだ、と思っていた矢先だけに、青天の霹靂のような死でした。

死後には、父の逝去の時と同様に、膨大な書類、事務処理が続きましたが、父にしても母にしても、私の日本滞在に合わせるかのように、亡くなっていったのは、不幸中の幸いでした。もしケニヤで足止めを食っている時に起きていたら、日本に帰国したくともできなかったわけですから。

それと、もしかしたら母はこの世の多くの不幸を天国に持ち去ってくれてのかな、とも思うようになっています。

生け花の師匠もやっていた時期もあった母は花が大好きでした。去った時期がちょうど生花の保持にはよい季節なのも幸いでした。多くの大好きな生花を毎日飾っています。なにしろ、植物にしても動物にしても手をかけてケアするというのが苦手な私なのですが、生まれて初めて、毎日花の水替えのケアをするという経験もしてしまいました。そうすることで、不幸が洗われていくような気分にもなるのですから、不思議というか、都合よく幸を呼んでしまっているようです。

父の永眠の時には喪中とはいえ、新年を祝いました。母の喪中は、コロナ感染状況の悪化もあり、静かな年明けとなりそうです。

そういえば、母が入院していた病院では、ついこの間、コロナのクラスターが発生したというニュースがありました。母が入院していたら大変だったと、これまた不幸中の幸いだったなあ、と思った次第です。

新年は多くの不幸から解放されて、幸福の中に幸を探し出せるような年となるとよいなあ、と願っています。