チャベダ氏

先週、悲しい知らせが届いた。ケニヤで、中村千秋の父ともいえる、チャベダ氏が癌で逝去したという訃報だった。79歳。ケニヤの平均寿命から言えば長生きだが、オリンド氏が82歳で元気なのを見ているので、とても早い死のように感じる。

一昨年、前立腺癌の手術をして無事成功。ケニヤでも回復率の高い癌なので、また元気になると思っていたが、今年に入って急激に体力が落ちてきて、残念ながら力尽きてしまったという。

大きな目に大きな鼻。とぼけた調子でゆっくりと話す英語には、いつも楽しい冗談があふれていて、聞き手を和やかな気分にしてくれた。ナンバー1というより、補佐的な地位で緻密な仕事をこなしていく人だった。データ採取と実証を重んじつつ、不正を嫌い、ケニヤを心底愛しているタイプの研究者だった。

長い間、ナクル湖の汚染の研究をしていたので、化学成分の分析については、いろいろと教えてもらうところもあった。口癖は、「どろぼうたちはなんでも盗んで自分のものにしちゃうからね、よーく見分けてだまされないようにね。そんなのに巻き込まれないで、独自の道を開いていくことだよ」、だった。どろぼうたちとは、研究の世界で権威風を吹かせていた、欧米からの白人たちや、そういう人たちと一緒になっていたアフリカ人を含めた研究者たちに対する、チャベダ氏独特の言い回しだった。苦々しい思いした話もいくつも耳にした。

そんなチャベダ氏なので、どろぼうの臭いをかぎつけると仕事をすっぽかしてしまう茶目っ気もあった。愉快なすっぽかしの話もいくつかあり、その真相をチャベダ氏に聞いて、大笑いしたこともある。

恩師の小原先生の親友として紹介されて、1989年にケニヤに居住し始めた当時、ナイロビの家でお世話になり、一家とは家族同様に付き合ってきた。4人の息子のうち長男はアメリカに永住している。次男はニューヨークで10年以上映画監督の勉強と仕事をした後、ケニヤに戻って家族を持ち、映像関係の仕事をしている。その次男と、チャベダ氏やオリンド氏を通して見えるケニヤの自然保護や彼らの活躍を映画に残せたらいいなあ、と夢を持って企画を練っている矢先のことだっただけに、残念だ。

チャベダ氏は来日の経験もある。日本では中村千秋の家族とも会って、会食した。その時の写真に写っている、当時、1歳半だった甥は、今や32歳の会社員になった。その甥が大学生の時にケニヤ教育ツアーでケニヤを訪問をした。チャベダ氏は甥との再会のために、甥が1歳半の時に一緒に撮った写真を手にしてナイロビの空港で待っていたのだが、フライトの遅れのため再会は実らなかった。とてもがっかりしていたのを思い出す。その後、甥とチャベダ氏は会う機会はなかった。今後もこの世での再会はないのだと思うと、改めて他界したのだと感じる。

もし可能ならば、チャベダ氏の次男との小さな夢、チャベダ氏やオリンド氏を通して見えるケニヤを作品にして、次世代に残せたらと思っている。もちろん資金のアテなど何もない白紙の状態だけれど、万事そういう白紙状態の夢から現実にしてきたのだから、願えば叶うだろう。そして、それがチャベダ氏への慰霊にもなるか、と。奇しくも、アメリカの長男の息子が大学で日本語を専攻して、日本滞在を経験したという。世代と国境を越えた作品を力を合わせて作って、天国のチャベダ氏に送れたら、と悲しみから希望に結びつけながら、悲しみの涙が夢実現の歓喜の涙となるように、チャベダ氏得意の冗談を交えた笑みを胸に、故人を送ることにしたい。

 

1989年7月、世界で初の象牙燃焼の日。ケニヤのナイロビ国立公園にて。

写真上:ケニヤ野生動物公社のチャベダ氏(左)と同公社の職員たち。写真下:チャベダ氏と中村千秋。

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どういうわけか、ジプリのピアノ音楽を聴きながらチャベダ氏のことを想うと、心が和む。このブログも聴きながら書いている。チャベダ氏のポヨンとしたとぼけっぷりが、どこかトトロと重なるからかもしれない。

https://www.youtube.com/watch?v=wqeJ5Vkb6JE